2008年02月25日

健さんが逝って一週間が経った。

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二月十七日が命日だった。

健さんは、朝早く三時前に逝った。

僕が、病院に着いたのは九時過ぎ。

健さんは霊安室に居て、
天井を見つめてた。

逝ってしまう直前の10日間の間に、
二度、夜間、病室に泊まって付き添わせてもらう機をもらった。
生前からの縁もあって、入棺する直前に会わせてもらえたのだ。

健さんは、本当に色んな事を教えてくれた。
メイクの仕方から、立ち位置のとり方、美味い焼酎、面白い台本、
楽屋での立ち居振る舞い方・・・。
今、僕が世話になっている素晴らしい役者・スタッフさん達とのトリモチをしてくれたのも、健さんだった。

僕は実家が寺で、一応、修行もして僧侶免許がある。
健さんも、仏教に造詣が深くて、
酒飲んでそんな話を沢山した。

こんな言い方すると、何だけど、
「魂が肉体を離れるという事実」を、また最期に教えてくれた。

僕は中学時代に祖母の死に接して以来、
亡骸に手を触れることが出来るほどの近しい人の死に会わなかった。

霊安室で健さんのオデコを、髪を、頬を、撫でさせてもらった。
ビクッと手を引っ込めそうになるほど冷たかった。
硬かった。
直感した。

「ここに健さんは居ない」

何となく・・・壁の上限、天井との接点あたり、
中空に目をやった。そしたら、

その後葬儀の遺影に見た、『あの』健さんの顔が、
「へへへ・・・どうだ?分かったか?」と悪戯っぽく笑っていた。

「お前、坊主だろ?
 そのくらい分かってないと恥ずかしいだろ?」、と。

また・・また!!
教えてくれた。



健さんとはホントに色んな話をした。

健さんと僕が話したことが間違っていなければ、
健さんは今、
『中有」(ちゅうゆう)或いは『中陰』というところに居て、
次の転生先を選んでいる筈。
さまざま説はあるが、49日目に「閻魔大王」に会う。

健さんは生前から、そんな知識は山ほど持っていた。
だから・・・

「おい!シンゴ!
 話してた通りだぞ!!」
とか、

「本に書いてあったのは、全くのデタラメだ」とか何とか、

僕じゃなくても誰かに話したくてウズウズしているはずだ。

違う?健さん!

健さんと話したのは、もちろん仏教の話だけじゃない。

想い出深いのは、
岡部耕大さん作の『断崖絶壁』という台本の話だった。

自殺の名所の断崖絶壁で出会った、
若い神父と自殺志願の中年男とのやり取りを、笑いもふんだんに、
シニカルに、情熱的に、練られたセリフで描いた二人芝居だった。

健さんは「いつか俺とお前でやろう」と、
全文掲載の「セリフの時代」という雑誌をくれた。

夢中で読んだ。
最高だった。
健さんと二人で立つ板を夢に描いて、酒が最高に美味かった。

健さんが最初に入院した時、
「今、岡部さんの戯曲集、読んでます。
 初演のキャストデータに健さんの名前発見しましたよ」と笑って話した。

でも、
「健さん、何か読みたい本あったら買ってきますよ」って言ったら、

首を振って、

筆談ノートに
『本を読めるのは、未来が感じられる人間だけだ』と書いてうなだれた。


だけど、そんな話だけじゃ勿論ナイ!!!

『健さん』という人を、僕が僕の中で決定付けているエピソードがあった。

もう七年か八年ほども前。
僕がやっと役者でお金を貰えるようになった頃。

「星空に吠えろ!トランペット」という作品で、
その稽古場で初めて健さんに会った。
健さんは(皆さん、分かるでしょう?)年下で、その現場の新参者である僕に、声を掛けてくれた。
僕は一瞬で健さんを好きになった。

健さんの存在は稽古の間中、僕を助け、癒してくれた。
プレッシャーの中、明日の稽古に行く気持ちの余裕をくれたのは、
「稽古場に行けば健さんが居る」という事実だった。

そして本番が来た。

僕が「健さんにすがり付いて泣く」というシーンがあった。

僕は健さんに思いっきりすがりついて、健さんのお腹にズッポリ顔を埋めて、心行くまで芝居した。

・・・

そしたら終演後、健さんが言ってくれた。

「気持ちは分かるが、
 あそこまでやるとお前のメイクのドーランが俺の衣裳にベッタリ付い ちまう。
 やるなら、お客さんの見えないほうの手を俺の腹にくっ付けて、
 その上に自分の顔を付けろ。
 
・・・衣裳を洗う人の事を考えて芝居しないとだよ」

ビックリした。

全くない考えだった。

・・・なるほど。

その日の2ステージ目。

同じシーンがやってきた。

僕はバッチリ!!自分の掌を健さんのお腹に当て、
その手の甲の上に頬を載せて芝居した。

次のセリフは健さん。

『坊ちゃま、・・・ドウノコウノ云々』

そのセリフの冒頭の「坊ちゃま」に僕は期待した。
その「坊ちゃま」の音声の中の数パーセントは、
「シンゴ」な筈であり、
その「シンゴ」の音声の中には、
(チャント、デキテルナ、オマエ)がホンのわずかでも含まれている筈。

実行と褒美への期待。

僕は立て膝で、健さんの両脇を抱きしめたまま、
頭をこれでもか!と自分の背中側に倒し、健さん顔を見上げた。
いよいよ・・

「坊ちゃま・・」

その瞬間・・・


真っ白な『米粒』一粒、
健さんの口から、ツバのきらめきとともに飛び出し、
僕の頬をかすめて通り過ぎて行きました。


・・・??????・・・・
・・・!!!!!!・・・・


その刹那!!
健さんの眼球は、米粒の描くゆるい放物線を追っかけていました。

僕も、僕の視界の額縁をあっという間に通過する米粒を見ました。

そして0.5秒後、健さんと目が合いました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・:(0.1秒の感情交換)

そして健さんは「何事も無い」の体で続くセリフ、

「坊ちゃまが欲しかったのは、
 ラッパなんかじゃなくて・・・」

を言いました。

しかし僕はそのセリフの間中、
健さんが、「もしや!?もう一粒!?」と、
舌で口中をチェックしまくっているのを目撃したのです。

・・・終演後。

聞けば、そのシーンの直前の直前まで、
楽屋でおにぎりをモグモグ食べていたそうです。

ははは!!!あーはっはっは!

健さんは「おにぎり」を告白して、
グヒヒ!!と自慢のアゴ髭をポリポリ掻きました。

・・・そういう人でした。
本当に、可愛い、愛すべき、愛される人でした。




葬儀には本当に沢山の人がお出でになりました。

人気者でした。

ホントに沢山の人を愛して、沢山の人に愛された人でした。
そして沢山怒っていたし、沢山怒らせていました。
そして沢山笑って、笑わせて、
いっぱい泣いて、泣かせてました。

振幅の大きい人でした。

酒飲むと理屈っぽい時もありました。


だけれど、
何よりも、その全てを凌駕したのは、

あの笑顔でした。
あの声でした。
あの背中でした。
あの黒いジャケットでした。


そして、あの『眼』でした。


『愛嬌』と言うのは元々、仏教用語で、
菩薩の顔に現れる「慈悲深い形相」を指します。


そう想えば、
健さんは菩薩様だったのかもしれません。



2月17日、この世に亀裂が入って、
皆、「内村健治が居ない世界」を生きていくことなりました。

健さん、アナタの居ない世界ってどんなだろう?
まだ、分からないです。

分かっているのは、
僕が、まだしばらくはその世界を僕が生きていかなくちゃならない、という事実。

健さん、今こそ聞きたいことが山ほどある。

・・・だけれど、あんなにオシャベリだったアナタは今こそ沈黙を守る。

きっと、かつてアナタも辿ったであろう日々を僕も送っていく。


ありがとう、健さん、ホンマにありがとうございました。

そして、これからも暫くよろしくお願いします。
posted by 真寤 at 23:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする